「こんなの仮面ライダーじゃない」論争で肯定される仮面ライダーのアイデンティティ

「こんなの仮面ライダーじゃない」論争で肯定される仮面ライダーのアイデンティティ

2016年、スーパーヒーローイヤーも折り返しを迎え、大盛況のうち幕を閉じた仮面ライダーゴースト。
そしてその後を追って装いも新たに始まった平成仮面ライダーシリーズ第17作目、仮面ライダーエグゼイドが現在絶賛放映中である。

仮面ライダーエグゼイド
ex-aid

世界観はゲーム×医療をモチーフに、ライダー同士の主張がぶつかり合う群像劇あり、ガジェットによる強化あり、となんだか諸先輩方の売上実績要素がふんだんに入っている上に、それら要素をうまいことドラマにテンポ良く落としこんでいるのがとても好感がもてる。

・・・のだが、やはり初お披露目の際に起きるのが「こんなのライダーじゃない」論争。
論争っていうほどでもないんだが、もういい加減腹に据えかねたので書いてみる。

誰が騒いでるのか

もう夏の風物詩になりつつあるこの「こんなのライダーじゃない」という声は、一体誰が騒いでいるのか。
私の周りでいうと「え?お前サブカルとか興味あったんですか」っていう意外な人達がSNSで制作発表ニュースをシェアしてひと言もの申していたりするが、その人たちの多くが「どうも特撮そんなに見てなさそう」な人たちばかりなのである。
これは自分の周りかもしれないが、特撮と共に生きている人ほど自分なりの解釈を基に肯定的に受け入れている気がする。
つまり騒いでいる人ほど実はそんなにライダー見てないんじゃないの?って話。

動いたらかっこいい

これもあるある過ぎるのだが、デザイン否定から動いているとこ見て「おお、かっけえな」となるところまでが平成ライダーのパックなわけだが、脊髄反射で騒いでいた人たちは多分そこまで追ってない。
アームズチェンジやタイヤ交換によって胸のすく思いをしていない。どうか見てほしい。そして感じてほしい。
毎年消費される仮面ライダーブランドという呪いを受け継いだクリエイターの結晶、その一つ一つに宿る制作スピリッツを。。。

ライダーっぽさ、ライダーっぽさって何だ。

脱線してしまったが、今回のテーマである「ライダーっぽくないという事が結果的にライダーを肯定してしまう」とはどういうことか。
当時のヒーローといえば月光仮面から始まってウルトラマン、スペクトルマン等既に人々の中に何となくでもヒーローってこんな感じのデザインだよねというフォーマットがある程度決まっていたはずである。

そんな中、バッタとガイコツを組み合わせた「これはヒーローなのか・・?」というインパクトを与えたのが今でこそ仮面ライダーのデザインにおいて基本となる旧一号であった。そりゃあびっくりするよね。

つまりこの時点において仮面ライダーもまたヒーロー全体から見ると異形のデザインだったと言えるんじゃないだろうか。
こんな画期的なバッタいるかね

従って今回の結論を言うと「こんなのライダーじゃない」と言われるような
”過去のデザインに寄りかからないデザイン”こそが、実は「仮面ライダー」を「仮面ライダーたらしめ、肯定すること」に他ならないのではないかと思うのである。表現が難しいけど。伝わるかしらこの感じ。